ドイツ・オーストリーで古典画法を学び、ファンタジックな画風で知られる鈴木和道氏の展覧会。今展では中世北方ルネッサンス絵画を中心にトリビュートした、鉛筆デッサンを約15点を出展する。
:中世の絵画に鑑賞する者を観察する視線が描かれていることから思う。
鈴木 和道
現代の社会では、機械を使って観察することが多くの場合に行われている。機械による観察や分析は、人間のまなざしや分析とは異なった解がでることになるのではないか。機械による視線が社会に張り巡らされていることに人は深い注意を払わずに生きているようだ。この視線の網によって守られているものと守られなくなったものごともあるだろうか。人間の尊厳や感性を重視することを考慮するとこの状況がどのように発展していくのだろう・・・。
現代社会における「機械による観察」は、監視カメラやAI技術、データ分析など、多岐にわたる形で存在します。これらは人間の視覚や認識能力を超え、24時間体制で情報を収集し、分析することが可能です。
しかし、この機械による観察は、人間の観察とは異なる特性を持っています。機械は感情や先入観を持たず、客観的なデータのみを扱います。そのため、人間が見落とす可能性のあるパターンや傾向を見つけ出すことができます。一方で、機械は人間のように複雑な感情やニュアンスを理解することはできません。これにより、機械による観察と人間による観察は、異なる解釈や結論を導くことがあります。
また、社会全体が機械による観察の網に覆われている現状について、人々は深く考えることなく生活しているように見えます。これは、便利さや効率性を求める一方で、プライバシーや自由に対する懸念を軽視している可能性があります。機械による観察が進むことで、一部の人々は安全や利便性を享受できる一方、他の人々はプライバシーの侵害や不平等を経験する可能性があります。
このような状況を理解するためには、機械による観察の利点と限界、そしてそれがもたらす社会的影響を深く理解し、適切なバランスを見つけることが重要です。それは、技術の進歩と個人の権利、社会の公正性との間の調和を図ることを意味します。この問題は、個々のテクノロジーだけでなく、私たちの社会全体の在り方についての議論を必要とします。それは、私たちがどのような社会を築きたいのか、そしてそのためにどのような技術をどのように使うべきなのか、という根本的な問いを投げかけます。この問いに答えることは、私たち全員の責任であり、挑戦でもあります。
画家としては、自分の肉眼と感性によって観察し作品を描くことを続けたい。それが愛と歓びの探求であるように。
artist Profile:鈴木 和道 / Kazumichi Suzuki
1955年東京生まれ。1981年東京藝術大学大学院(中根 寛 研究室)終了、同年ウィーンに留学。ウィーン応用美術大学にてヴォルフガンク・フッターに師事。1984帰国し、85年まで東京芸術大学非常勤講師。以降、ウィーン派絵画スクール設立など、混合技法作品の発表と指導で活躍。セントラル美術館大賞展佳作賞、北の大地大賞展、文化庁芸術祭賞受賞作品「りちゃーど三世」野田秀樹作/演出の舞台美術を担当。現在無所属で活動し、個展・グループ展多数開催。2018年、心臓に重い病を得て人工心臓の移植手術をうけ、奇跡的な復活をし、現在、日々創作活動を続け、後進の指導にもあたっている。