2015, Aquatint Etching, size 22 x 15cm
人は何故、花々に心を奪われるのだろうか。朝靄のなか、芳しく花開く蓮の花。
泥の中から生まれ出て、天に向かって微笑む薄桃色の花びらには、艶やかしささえ感じられる。
生暖かい春の夜風に揺れる満開の桜は、まるで花自らが発光しているかと見紛うほどに闇夜に映え、
狂気さえ感じられる。舞い散る花吹雪に巻き込まれたら、心も一緒に散ってしまいそうになる。
美しさに心乱され、人は唄い、踊り、そして新たな美を生み出す。
時に我を忘れ、自然の美に溶け込むことで、新しい自分を見出すことができるのかもしれない。
2015年 長野 順子
地に生えるもの、空に浮かぶもの
―長野順子さんの銅版画に寄せて―
長野順子の銅版画作品のメインテーマは、「時間」と「空間」が繋げていく生命の物語と言えるだろう。長野作品の中の「時間」は、樹木や草といった「地に生えるもの」と強く結びついている。関東北部の山の懐に育った長野は、幼い頃から植物の神秘に打たれてきたと言う。たとえば《萌え出る》が見せつける圧倒的な生命誕生の瞬間、《緑化計画》にみなぎる緑色の命の匂いは、自然の中に生きた者にしか描けないだろう。面白いのは、長野の「地に生えるもの」の表現を支えているのが、時間とともに深度と濃さを増していくエッチング技法である点だ。2008年の個展に寄せた彼女の文章に次のようなものがある。「0.8ミリの銅板に、飴色の薄い塗膜を引く」「私はそこに線を刻む、点を穿つ」「私の作品を描くという行為は、時を刻みつけているかのようだ」「琥珀色の塩化第二鉄溶液に浸されること5分
「萌出る」
2012, Aquatint Etching, size 45 x 30cm
長野のもうひとつの魅力的なテーマに「空に浮かぶもの」がある。たとえば、《幻想都市綺譚》には四神相応(東洋の風水思想)に基づく絶海の幻想都市が現れる。ここで発揮される長野独自の魅力は、「時間」に託して自然への畏れを漂わせながら、「空間」に対する絶対的な理性に基づいている点である。建築士だった彼女は、構築する空間に計算外の破綻を作らない。破綻や誇張があるとすれば周到に用意されたもので、あやふやな感情に左右された結果ではない。《幻想都市綺譚》に描かれる建物や階段はフィジカルな説得力をもちながら、ところどころ奇妙に引き延ばされ空間を歪ませている。さらにそこに四柱の神や這い回る巨木の根など、長野の幻想が生み出したモチーフたちが住みつくことによって、この世のものではない奇妙な浮遊感が生じている。こうした「空に浮かぶもの」の画面に穏やかならぬ魅力を添えているのが、長野のアクアチントである。エッチングが時間を内包するように、アクアチントはちりばめられた松脂の広がりによって空間のトーンを支配する。アクアチントのグレートーンが、「空に浮かぶもの」の浮力を高めているのだ。
結局のところ、「地に生えるもの」も「空に浮かぶもの」も、長野の頭脳にある理性と精神にある妄想の化学反応によって生まれてくるのだと思えてならない。理性あふれる穏やかな人間がちらりとのぞかせる端正な妄想にこそ、底知れない怖さがある。繊細な美しさが高く評価される長野の銅版画だが、その真の魅力は、もっと奥へ、深遠へと見る者をいざなう、怖さをも秘めた吸引力に隠されているのではないだろうか。
高崎市美術館 柴田純江
(『版画芸術 No.167』2015年春号、阿部出版 への寄稿文より抜粋 )