「ジャーニー・イン・ベッド」
普段寝る時に見る夢と現実の違いについて考える時、私達は夢とは幻のようであり雲を掴むような、そんなイメージを抱きます。また、現実について考える時、手に触れられる範囲の目に見える事象について思い巡らします。本展では、櫛占 采による「ノスタルジーな夢と現実を行き来する旅」をテーマに美術作品を展示します。
櫛占は、家を自分自身の内側(夢)、家の外を外界(現実)と捉えているのだと言います。人々の精神世界には各々の地図がありそれが夢に立ち現れると考え、「内界の東西南北」を意識して日頃制作を続けています。夢とは旅のようなもので、寝ている間内側の世界を彷徨っていたという感覚が朝目覚めた時に意識されるのだそうです。それは言い換えれば家にいながら世界中を旅しているとも言えます。
夢と現実の境目とはどこなのでしょうか。その想像の世界を、作品とともに旅をしてみませんか?
artist statement:
その人生が終わると、生命は空や土へ還ると言う。しかしどうして皆、どこかここではない場所へ行ってしまうのだろうか。もしかしたら地球は家で、その外が本当の世界なのかもしれない。だから誰しもがその命を終えたとき、ふと扉を開けて外の世界へ遊びに行ってしまうのかもしれない。
去年、飼っていた子猫が死んだ。まだ6か月だった。その日の空は晴れていて、ちょうど昼時で、動物病院から帰ってすぐの事だった。亡骸を見て私は、死んだ子猫はここにはいないと感じていた。さっきまで息をしていたのに、今はどこにもいない。子猫もまた、どこかここではない場所へと旅立っていったのかもしれない。それは長い長い旅だろうし、そしてもう二度と帰ってはこない旅なのだろう。
私たちが存在する「見える世界」と、死んだ後に行く「見えない世界」にはきっと何かの境目があって、私たちは必ずいつかその扉を開ける。だから今ここにいる間、何もかもと別れて全て忘れてしまう前に、この世に生を受けた証としてこの世界のことをそれぞれができる方法で、記しておかなくてはいけないのだ。
櫛占 采
「この時代だからこそ、櫛占作品の息遣いを感じてほしい」
text: ナツメミオ
櫛占作品は旅のスナップショット的な趣きを持っている。そこに映るものは観光地ではなく、どこかにあるかもしれない(しれなかった)日常の小さなきらめきだ。
通常、目に映る対象は網膜で像を結ぶため当人にしか認識できない。しかし櫛占はそれを作品として現実世界に顕現してみせ、旅の感覚を私たちに共有してくれる。そんな作家兼旅人とも言えるフレキシブルでユニークな創作を行う櫛占にとって、「家」は重要なモチーフのひとつだ。建築物としての家屋はもちろんのこと、櫛占は内界にも家を持つと言う。本展のメインビジュアルである『大事なおうち』は、精神の帰る場所・拠り所を彷彿させる作品と言えるだろう。帰る家があるからこそ、人は旅ができるのだ。
去る2023年5月、COVID-19が5類感染症に移行し、外見上は移動範囲の緩和が行われた。これに伴い自粛ムードは一転し、多くの人々が周遊やレジャーを楽しんでいる。各地にはコロナ以前のような賑わいが戻り始めているようだ。しかし、5類移行というある種の「号令」によって分散されることなく一気に人が動いたことで、観光地のキャパシティを超えることもしばしばである。事実、地域住民の生活や自然環境などへの負の影響をもたらす「オーバーツーリズム」の問題が同時多発的に起きていることは見逃せない。
では私たちは、知らない「土地」に赴かなければ旅ができないのだろうか。抑圧が続いた反動で外界に目が向きすぎている今こそ、内界の旅を再考する意義があるのではないだろうか。
内界に東西南北があるのだとすれば、架空の地図を片手に旅することも可能だろう。手にした地図に印を付ければ、それは旅の記録となる。そしてその内界の旅の記録は、現実世界を生きていくための方位磁石となる可能性を秘めているのだ。
夢という「まぼろしにも近い物質的ではないもの」を大切に胸に抱くことができたならば、外界と内界をゆらめき行き来しながらも、現実にしっかりと足をつけて生きていくことができるのではないだろうか。そうして自分ご
ととして現実を捉えることは、広い意味において安定的に人間活動を継続するための「キャリング・キャパシティ」の考え方にも繋がり、自身と他者、相互の関係性や在り方を省みるきっかけとなるだろう。
櫛占が鳴らすのは警鐘ではなく、ちいさな祝福の鈴だ。その鈴の音(ね)を聴きながら、日常と内界の旅を楽しむ術を、会場で味わって欲しい。
ナツメミオ: 美術系ライター / デザイナー。
「あわい(間)」をテーマに、分野を横断しながら絵画材料や作家研究を行う。
artist Profile:櫛占 采 / KUSHIURA Sai
美術作家。1985年神奈川県生まれ。
2009年東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。
大学卒業後、素材や画材を身近でポピュラーなものに持ち替え、自らのパーソナルスペースに転がる様々な事象や記憶などから着想を得て制作を続ける。
「精神世界と、物質世界の境界線」を、「家と、その中に住む者と、家の外」と捉え、絵画、写真、アニメ、立体など多岐にわたる手法や素材で制作された作品群は、ともすれば見逃してしまうような日常に潜むノスタルジックな情景を観る者に想起させる。